容器の歴史と種類

日本のお弁当箱の知られざる歴史

お弁当の始まり

携行食、すなわち“お弁当”の始まりは、鎌倉時代後期の「干し飯(糒・ほしいい)」と呼ばれる蒸し米を乾燥させたものでした。そして安土桃山時代になると「弁当」という漆器の箱が誕生しました。

その後に実用的なものから特権階級の豪華絢爛なものまで幅広く人々の間に広がっていったのです。

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江戸時代のお弁当

おにぎり

この頃、お弁当の文化はより深みを増すようになります。旅行客はおにぎりを竹の葉で包んだ腰弁当を風呂敷に包んで肩や腰にかけました。これが駅弁の始まりです。

そして、今もっともメジャーなお弁当である「幕の内弁当」が生まれたのは能や歌舞伎の席。おにぎりに卵焼き、煮物などのおかずを重箱に詰めたお弁当を幕内(休憩時間)に食べたことからその名が付きました。

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明治時代から昭和、そして現代へ

アルミの弁当箱

明治時代になると、腰弁当の発展系である駅弁が宇都宮駅を皮切りに販売されるようになりました。昭和になるとアルミを加工した銀色の弁当箱が誕生します。しかし戦後、学校の昼食においては徐々に給食へと切り替えられるようになりました。

現代では、コンビニエンスストアや駅弁、果ては空弁などの誕生によって「作るもの」から「買うもの」へと次第に変化していきます。それでもやはり日本人に根付いた「手作りのお弁当」の文化は深く、愛妻弁当だけでなく子ども向けのキャラ弁など、作る方面でのバリエーションも増えているのです。

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弁当箱の種類

古くは柏の葉、笹の葉、竹の葉や皮が使われていました。次いで竹を編んで器にしたものや木製容器が生まれ、江戸時代になると重箱などの豪華なものが生まれます。

今もっとも使われる弁当箱の形が生まれたのは16世紀後半で、千利休が半円型の「半月弁当」を好んだといわれています。そのほかにも茶箱弁当や松花堂弁当など、文化として深まりを見せたのはやはり江戸時代でした。

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さらに広がる弁当箱

東南アジアなどの亜熱帯地域では竹や籐などを使った通気性に優れたもの、北の地では密閉性に優れたものなど、その地域の風土や気候が素材や形に反映されています。

外に持ち運ぶことを考えて数点の器を収められる荷担組や、優美さを追求して漆塗りに蒔絵などの微細な細工を施したものなど、素材・デザインともに多種多様です。

現代では、アルマイトなどの懐かしい素材を経てプラスチック、木製へと落ち着いています。形は長方形や丸形、小判型、さらには汁物も詰められる筒型などがあり、より利便性に優れたものが増えているのです。